POPSCENE - ポップシーン
POPSCENE - ポップシーン
松室政哉、2ndシングル『僕は僕で僕じゃない』インタビュー

松室政哉、2ndシングル『僕は僕で僕じゃない』インタビュー

June 25, 2019 18:30

松室政哉

0
シェア LINE

ポップシーン読者には特に馴染み深いであろうシンガーソングライターの松室政哉。筆者自身、そのずばぬけたポップセンスをこよなく愛している。これまでも、平成最後の泣き歌と称された「海月」や、松室本人が初めてMVでメガホンをとった「きっと愛は不公平」など男女問わず人気の高い楽曲を作ってきたが、2ndシングル『僕は僕で僕じゃない』のタイトルナンバーはそれまで以上に自己の内面に迫る楽曲になった。新社会人、新生活の中、思うようにいかないことはある。そこで生まれる「これは本当の自分ではない」という感情。 今回作詞は、いしわたり淳治氏との共作。初めての共作に加え、アレンジャーは「毎秒、君に恋してる」でも編曲を担当した河野圭氏を向かえ、新たな松室の世界が切り開かれた。更に後悔がテーマのc/w「Hello,innocence」についてや、昨年リリースされたアルバム『シティ・ライツ』を携えたツアーで得た感覚など、色々な話を伺った。


ー そういえばボルネオに行ってきたそうだけど、どうでしたか?

今回はボルネオの環境保全に携わっているSARAYAさんの環境保全トラストの一環で行かせて頂いたんですが、 経験したこともないほど文化も違うので、行く前と行った後では色々なものの見え方が違った気がします。


ー 具体的にはどういうことを?

SARAYAさんは椰子の実で洗剤を作られているんですが、プランテーションとして現地で椰子の実を栽培する中、元あった自然がなくなっていったりもするんです。そこで、自然と人々が共存できる環境活動に取り組まれていることを、僕自身も実際現地で目にして、いちミュージシャンとしてこうやって色々な場面で発信していく。その目的でボルネオに行ってきたんですが、まず自然保護…つまり野生に近い形で保護されているオランウータンや象や天狗猿など、広大なジャングルの中で自然に生活している動物たちを観てきました。ヘリコプターで上空から見ると、一見ジャングルがずっと広がってるように思えるんだけど、ある一部はバッサリと伐採されているプランテーションエリアで…。それをひとつの問題として考えつつも、それを仕事として生きている人もいるので、そこに生まれる共存を実際目にしてきました。正直、ボルネオって言われてもピンと来ないでしょう?


ー 恥ずかしながら全然…(笑)。

僕もそう。でも実際日本にいるだけでなく現地に行ったのは良い経験になりました。


ー 以前は浜端ヨウヘイさんも行かれていましたよね。

はい。あと同じ事務所だと杏子さんや元ちとせさんも行かれています。そんな中でもボルネオの状況は毎年毎年変わっているみたいで、SARAYAさんの環境活動が活きているようですよ。


ー 確かに環境問題ってどこか他人事みたいに思ってしまう部分があるけど、こういうお話を聞くと色々気にするようにはなりますね。でもすごく暑かったでしょう。

めっちゃ暑かった!でもね、日本も変わらないなと思いました。東南アジア化しているというか、日本に帰ってきても湿度もあんまり変わらなかったし。ただボルネオは赤道に近いから照りつける日差しは強かったですよ。あとボルネオ島のコタキナバルという都心の方はリゾート地みたいだからInstagramで「#ボルネオ島」と検索すると映えてる人がいっぱい出てくるから(笑)。 僕らが行ったのは、もっとジャングルの方でしたけど。


ー 映えてる人(笑)。あとで調べてみよう。

是非是非。


ー では作品についてですが、今作『僕は僕で僕じゃない』はアーティスト写真の雰囲気がいつもと違いますよね。

多分初めて完全な外だったからだと思います。着ている服も鮮やかだし。


ー 坂内拓さんのジャケットイラストも雰囲気がいつもと違って、一瞬坂内さんって気づかなかったくらい。

そうですよね。今回アートディレクションを担当して下さった山崎泰弘さんの案もあってエッシャーみたいな世界観をグラフィカルに表現してもらいました。


ー 今までも「東京」や「息衝く」など、松室くん自身の上京当時の心境や葛藤を書いた曲はあったけど、今回のタイトルナンバー「僕は僕で僕じゃない」は更にそこを深く描いていますね。

昨年、アルバム『シティ・ライツ』を出して、今年の2月にそのツアーが終わってファイナルのMCでも言ったんですが、これでやっとアルバムが完結した気がしたんです。あのアルバムでは群像劇を描きたいと当時から言っていましたが、曲の視点は映画のカメラがある場所。「息衝く」もそのひとつです。そこで納得のいくものが出来たからこそ次またどういう視点に変えていこうかと前にも進めました。『シティ・ライツ』があったからこそ、よりもっとパーソナルで、より内面に迫った曲を作ってみたいと思い、この曲に辿り着きました。


ー 歌詞は「22年の助走をつけて」と始まりますが、松室くん自身が上京したのも22歳でしたっけ?

そうです。2012年なので22歳でした。


ー 松室くんが出場した閃光ライオットは2008年?

ええ。あの時は18歳でした。


ー その時から上京は考えていた?

うーん…漠然と、いつか東京に行くんだろうなとは思っていたけど、当時はいつ上京しようか具体的なことは全然考えていなかったですね。ただ最終的に上京することを決断したのは、今このまま音楽を続けていても自分が考えているような活動って出来ないかもしれないと思ったからなんです。それこそ、もう音楽は辞めても良いかなっていうくらいまで考えていたし。


ー そうだったんだ。

ただそれなら、一度環境を変えてみるのもひとつかなと思って。それで駄目ならもう駄目だろうし。そんな考えで上京しました。でも何の伝もなく東京に来たからバイトもして、自分で作ったデモ音源をライブハウスに持っていってブッキングしてもらうも全然お客さんもいない状況で(笑)。そこで、“あれ?思っていたのと違う”と感じ始めたんです。それって当たり前なんですけどね。メジャーデビューが約束されているという状況で東京に来ているわけじゃないから。自分で勝手に描いていた理想の世界と現実の世界のギャップが当然のようにあって。この曲を作るにあたっても、そんな僕自身の経験は影響しています。


ー 当時、松室くんが描く理想はメジャーデビューしてトップチャートに入って、大きな会場でライヴをしてという感じでしたか?

やっぱりデビューしたいとは思っていました。そういう世界に実際入らないと見えないものばかりだから、順序とか具体的なことはよく分からなかったけど、ただ漠然とした成功みたいなものは描いていました。


ー 歌詞の「失敗しないことばかりを求めるから不器用な僕じゃなくなってゆく」は松室くん自身にも当てはまること?

ある意味では。