ー では先輩に教えてもらいながらという感じだったんですか?
教えてもらっては…いないです(笑)。当時、スキマスイッチと野狐禅、サンプリングサンというバンドが新人として三組いたんですが、僕が応募したのはどうやらその制作ディレクター募集だったようで。で、率直にどのアーティストを担当したいか聞かれたので、それまで自分が好きで聴いてきた音楽が一番活かせるかなと思って「スキマスイッチで。」と言ったら、いきなり彼らのディレクターに。
ー 結構凄いですね。
ええ(笑)。たださすがに現場経験がないので、当時、山崎まさよしが作っていたアルバム『アトリエ』の制作現場にアシスタントとしてしばらく同行させてもらったんです。でも具体的には何も教えてもらえなくて。…そんなこと言ったら怒られるかな(笑)。
ー 技術は見て盗め!というやつですね?
まさにその通りでした。「分からないことは聞け」というスタンスで、でも何がわからないのかがわからなくて。明確に教えてもらったのはケータリングの買い方くらいでした。
ー アハハ!
「山崎が好きなものはこれだから。」って。勿論それはすごく大切なことなんですけどね(笑)。あとは毎日終電ギリギリまでスタジオに居させてもらって、レコーディングの進め方を見ながら勉強しました。楽器を重ねる順番とか、録ったボーカルの選び方とか。学生時代にカセットMTRで簡単なレコーディングはやっていたので、ある程度のことは分かっているつもりでいましたが、やはりそこはプロの現場ですから、予期せぬことが起こることもあります。そういうことひとつひとつを見て覚えての連続でした。制作現場以外のところでディレクターが何をやっているか。例えばマスターの管理や予算立てはどうしているか、アーティストとはどう接しているのか、先輩の姿を見ながら覚えていきました。
ー 大変ですが、その分すごく身になりますね。
そう思います。
ー ディレクターというお仕事は、会社や人それぞれ違うと思うのですが。
おっしゃる通り、ディレクターというのは色々なタイプがいます。音楽的な部分に深く関わるのは勿論なんですが、アーティストと同じ目線で楽曲の細部にまで関わっていくクリエイタータイプがいれば、予算やスケジュール管理などを徹底していく管理者タイプもいます。担当アーティストに音楽プロデューサーが付いているかいないかで、ディレクターの立ち位置はだいぶ変わってくる気がしますね。オフィスオーガスタはセルフプロデュースのアーティストが多いので、どちらかと言うと前者のタイプだと思います。元々、代表の森川がすごくクリエイタータイプの制作マンなので、それを見て育っている僕たちもやっぱりそうなっていきますよね。自分もアーティストのつもりで…とまでは言いませんが、ここまでアーティストとガチンコでやり合うのは珍しいと思います。
ー すごく想像出来ます!
そういう先輩たちを見てきたので、当時の僕はディレクターというのはそういうものだと思っちゃったんです。とは言え知識も技術もないし、スキマスイッチも新人。担当したのが杏子や山崎まさよしだったら、それまで積み上げてきた現場の流れができていて、最初のうちはそれに倣ってやっていけばよかったのかもしれないですが、実際、スキマスイッチ本人たちも僕も何も分かっていない状況でしたから、頼みの綱は、今もスキマスイッチのチーフマネージャーを担当している樋口健でした。彼はマネージャーですが、当時は山崎まさよしのマネージャーも兼任していて、すごく経験もあったのできっと何か分かるだろうと思い、現場で彼がどういう風に振る舞っているのかをずっと見ていました。制作のノウハウに関しては初期のスキマスイッチのエンジニアである松田龍太さんから色々と勉強させて頂きましたね。
ー そういう経験を経てディレクターとしての幅を広げていったんですね。
そうですね。アーティストに対して踏み込むべき部分とそうでない部分のボーダーラインとか、そのタイミングとか。うちの会社って、本当に厳しいんですよ、曲づくりに対して。それは勿論アーティストや楽曲に愛情があるからなんですけど、歌詞のフレーズひとつ取っても、コードひとつ取っても、ちょっと気になることがあればどんどんぶつかっていく。だから当然衝突もするんですが、スキマスイッチの時もそういう衝突を繰り返しながら試行錯誤の毎日でした。当時の僕はあまりにも頼りなかったので、多分、彼らは僕のこと苦手だったと思いますよ(笑)。