ー ライヴスタイルは違っても、お客さんを楽しませる気持ちは共通しているんですね。
はい。ライヴスタイルで言うと、竹原は基本的には弾き語りなので、お客さまも椅子に座って観ることが多いです。忘れらんねえよのように表立って踊るということではなく、心の中でじっくり汗をかいて泣いているような感じ。それをじーっと固唾をのんで見守り、曲が終わると拍手が起こるみたいなことの繰り返し。圧倒的パワーがあります。
ー なるほど。竹原さんは歌もルックスも男臭いのに、どこかチャーミングさがありますよね。今年のオーガスタキャンプも竹原さんのステージのMCで「可愛い!」という声が結構会場から飛んでいましたし(笑)。
僕からすると何が可愛いのか分かりませんけどね(笑)。
ー アハハ!
でもオーガスタキャンプで境港に行った時も、ボランティアスタッフの方々が一気に竹原のファンになってくださって、ライヴ終了後に物販に走ってました(笑)。
ー 竹原さんって、歌だけでなくキャラクター的に惹き込まれるものを持っていますよね。業務提携をされている大野雄二さんはどのような存在ですか?
大野雄二はもう大野雄二ですからね!
ー あ、それってすごく分かります。言わずもがなな存在感。
そうです!JAZZ界を引っ張ってきた方ですし、ライヴも拝見しました。とは言え、僕があまりJAZZに詳しくなかったので、最近よく勉強するようになり、やっぱり彼のトリオやライヴは凄いと感じました。大野雄二と言えば、ルパン三世を筆頭に有名な楽曲ばかりを手がけているじゃないですか。
ー ええ。
それらをライヴでプレイしても未だに色褪せない。彼によって、僕自身もJAZZがこんなに楽しいんだと気付かされました。
ー eastern youthも業務提携ということですが、具体的にはどのようなことを?
原盤制作のお手伝いと宣伝業務・出版管理業務をBandwagonで請け負っています。 彼らは自分たちで「裸足の音楽社」という事務所を持っているので、そこで音源制作をしながら弊社の担当もディレクターとしてリリースには関わらせて頂いています。
ー オフィス オーガスタにひとつの特徴があるように、Bandwagonからも新たなシーンが生まれてきそうですね。
オーガスタとBandwagonが相容れないということは勿論ないですし、どちらも好きになって頂ければ一番良いと思います。そうやって両方とも大きくなって、オーガスタキャンプとバンドワゴンキャンプが出来れば嬉しいですね。
ー いいですね。
お客さんが今迄聴かなかった音楽を聴けるような場所が作れると良いですね。
ー 本来、ジャンルレスで良い音楽を聴くのが一番ですから。
そうなんですよね。でもやっぱり好みってありますよね。「今この音楽が流行っているけど、自分は聴けないな。」とか。僕もありますし。
ー ちなみに樋口さんは普段どういう音楽を聴いているんですか?
最近、ちとせ(元ちとせ)の影響もあって民謡ばかり聴いています(笑)。
ー シブい!!
沖縄や鹿児島の民謡もそうですし、津軽三味線も良いですね。今は高橋竹山さんばかり聴いています。超カッコいい!
ー すみません、全く分からないです(笑)。
すごくロックですよ。
ー 岡林信康さんや大瀧詠一さんも民謡には触れていますしね。
そうなんです。父親が弊社の森川(代表取締役)と同い年なので、父親もThe BeatlesやThe Venturesをはじめ、フォーク、GSなどを聴いていたから、その影響もあり、やはりそういう音楽も大好きですね。
ー オフィス オーガスタに入社された動機は、やはり音楽が大好きだから?
というか元々…って、僕の話なんてして良いんですか?(笑)
ー 勿論!(笑)
僕はギターが好きで、ギターを作りたいと思っていたんです。でもなかなか上手いこといかなくて就職も出来なくてという状態でした。そんな時、TVで山崎まさよしの「One more time, One more chance」を聴いて、初めて歌で泣いたんです。「こんな良い歌があるんだ!」って。それからすごく好きになって、アルバムも買いました。何て言うのか、彼のちょっとひねくれてる歌というか(笑)、ものすごくカッコ良いところにいるんだと思ったんです。そんな時たまたまイベントで、オフィス オーガスタのスタッフと知り合い、拾ってもらいました(笑)。だからずっと音楽が好きだったというよりは、ギターが好きで、そこに大好きなギターを弾く人がいて…という感じでした。
ー 樋口さんと言えば、スキマスイッチを発掘されたことでも知られていますが、改めて経緯を教えていただけますか。
当時、赤坂Blitzとぴあが共同で立ち上げたBLITZ・PIA RECORDSというのがあって、そのオーディションライヴを観に行ったんです。そこでスキマスイッチが出演していて「面白いユニットだな。」と思いました。後日オーディションの模様をTVでダイジェスト放送したもののビデオを森川に見せたら、森川も興味を持って。それが始まりでした。