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【マスターピース】米米CLUB「浪漫飛行」

October 29, 2025 16:30

米米CLUB

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【マスターピース】米米CLUB「浪漫飛行」

“masterpiece”【傑作、名作】
音楽、映画、本、ドラマ、舞台、その他世の中には沢山のmasterpieceがあります。そこでポップシーン編集長 兼 ライターの筆者が、自分史上傑作だと思える楽曲を、私情や思い出をごちゃまぜに紹介。その曲をメインにしたプレイリストも作るので、併せて楽しんでもらえたら嬉しいです。

第一回目は、米米CLUBの「浪漫飛行」。
米米CLUBといえばこの曲を思い出す人も多いと思いますが、アルバム『KOMEGUNY』(1987)に収録され、そこから3年後の1990年4月8日にシングルカット、170万枚のミリオンヒットで、当時若干“色もの”的イメージだった米米CLUBを一気にオーバーグラウンドに引き上げました。とはいえ車のCMソングに起用された「I・CAN・BE」(1985年)や、“セメテ”“ヤメテ”などインパクトのある歌詞が連呼される「KOME KOME WAR」(1988年)など、すでに注目度は高く、好きな人にはガッツリと刺さっていました。ただ音楽性だけでなく、ジェームス小野田さんの派手なメイクや被り物、石井竜也さんの場末のホスト感(褒め言葉)、1988年まで在籍していた博多めぐみさんの女装姿なども含め、遠巻きに観ていた人もまだまだ多かった印象を受けます。

私を米の沼に引きずり込んだMちゃんは石井さんが好きで好きで、恋人になる妄想を随時垂れ流していましたが、かくいう私もリーダーのBONさんが好きで好きで、同じような妄想を随時垂れ流していました。そんな中「浪漫飛行」のカップリングが、東日本版と西日本版で違うこともよく話題にしていましたが(東日本版「ジェットストリーム浪漫飛行」/西日本版「そら行け!浪漫飛行」)当然ネットなんてない時代ですから、今のようにA◯azonで簡単に手に入れることや、サブスク・動画コンテンツですぐ聴くこと、遠く離れた推し活仲間とSNSで情報共有することも出来ず「西日本版はどんな感じなんだろう」と妄想で楽しんでいた気がします。まぁそれはそれで楽曲やアーティストへの愛も深まり楽しかったですが。

米米CLUBといえばコミカルなイメージを持ちつつ、ファンクやソウル、ニュー・ウェイヴ、ムード歌謡などをベースにした楽曲が多いため、それらのルーツやイメージとは異なる「浪漫飛行」のレコーディングをメンバーがボイコット。挙げ句レコーディングをせずバスケットをしていたというエピソードは嫌いではありませんが、石井さんとプロデューサーでの制作現場、さぞ大変だったろうと想像出来ます。ドラムはどうしても生にしたかったということでドラムパートはRYO-Jさんが担当。それもボイコットされなくて良かった。


“あきらめという名の傘じゃ雨はしのげない”

爽やかなメロディに乗るのは、夢を語り明かした“君”の背中を押す力強くも優しい言葉。80年代の洋楽テイストのにおいをさせつつ、ジャパニーズポップスらしい歌詞と爽やかで開放的なサビは世代を超え愛され、多くのアーティストにカヴァーされ、2023年には「浪漫飛行」のトリビュートアルバムまでリリースされました。今回のプレイリストでは、そのトリビュートやカヴァーからもセレクトしています。

東日本版は米米CLUB初のシングル1位を獲得。シングルリリース同年に、JALの沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMソングにも起用。


この曲は最初から航空会社のCMオファーを狙って書いたそうですが、それを実現させるに相応しいキャッチーさと売上げを持ち合わせていたので鬼に金棒!いや、米米にゴールド!メンバーの派手なこと派手なこと(笑)。90年代の映像技術にも懐かしさを覚え、つい遠い目に……。キャンペーンは沖縄がテーマでしたが、<夏離宮>というワードからタイのバンパイン夏離宮や伝統衣装をモチーフにしたのではないかと推測。衣装やジャケット、ステージなどのデザインは石井さんが担当されている上に、メンバーがつけている羽根のデザインは石井さんがよく用いているものに似ているため、もしかするとこの衣装やセットのデザインも石井さんが携わっていたかもしれませんね。

その後「ひとすじになれない」(1991)、「君がいるだけで/愛してる」(1992)、「愛はふしぎさ」(1993)など次々とヒット曲を生み出していきますが「浪漫飛行」をリリースした翌年のアルバム『米米CLUB』では「オイオイオイ マドロスさん」「ホテルくちびる」など大暴走にもほどがある(褒め言葉)楽曲たちを打ち出したためファンが、“米米は変わった……”などと悲しむことはなかったと思います。ある意味何をやっても許されるのが彼らの強みであり面白み。それは石井さんの歌唱力だけでなく、メンバーそれぞれの演奏力の高さ、突き抜けたエンタメ性など、米米CLUBでなければ表現できない世界観を持っていたからこその結果でしょう。ライブでCREAM SUE(現・シューク・フラッシュ!)やコータローさんの動きに合わせ「浪漫飛行」や「Sure Dance」(1987)「愛 Know マジック」(1992)「ア・ブラ・カダ・ブラ」(1994)など振り付けをした時の多幸感は今でも忘れません。

そんな米米CLUBは、今年9月からスタートした全国4ヶ所7公演ツアー【米米大興行 人情紙吹雪〜踊ってやっておくんなさい〜】を大成功で終え、10月22日(水)にはデビュー40周年を記念したアルバム『愛米 〜FANtachy selection〜』をリリース。まだまだアグレッシブ!そして少し遡りますが「米米CLUBの日」である8月8日にTHE FIRST TAKEで「浪漫飛行」が披露されました。


総勢17名のフルメンバーが、“今”の「浪漫飛行」を歌い、演奏し、踊っている。それだけで意味もなく涙が出てきました。勿論彼らには他にも名曲は沢山ありますが、やはり神曲!冒頭から石井さんが可笑しなことを言っていたのも“らしくて”良かったですし。
可笑しい言えば、【a K2C ENTERTAINMENT TOUR 2017 ~おせきはん~】をWOWOWで放送するにあたり2018年、石井さんとBONさんにインタビューさせてもらったことがありました。(https://popscene.jp/feature/039033)この話が決まった時は若き日の自分に教えてあげたかったですが、そんな悠長なことは言ってられなかったのです!通常インタビュー時間はだいたい1時間くらい。しかしこの時は15分。短時間で色々伺うつもりがカールスモーキー感全開の石井さんに煙に巻かれっぱなし。その挙げ句「もぉ〜、てっぺいさん!時間ないんだから真面目に答えてもらいますよ!」などとつい、愛称の“てっぺい”呼びしてしまい……(てっぺい“ちゃん”じゃなかったのは、中途半端に理性が働いた結果)

まぁインタビューに入る前、ファンクラブに入りライブにも行っていたことや、石井さんがデザインやプロデュースしたものを展示販売していた代官山のギャラリー「GALLERIA HATI」や、BONさんとMINAKOさんが共同経営していたレストラン「Kappa due chi」にもよく行っていたことなど事前に暴露していたので、怒られることはありませんでしたし、そんなおふざけ含め笑いの多い15分でしたが。

と、横道にそれてしまいましたが、今回このmasterpieceで「浪漫飛行」のことを書くにあたり、久々に米の沼に戻ってきた気がしています。音楽を文字にして伝える立場ではありますが、やはりアーティストの“ファン”であることは続けたい。その想いと共にこれからもmasterpieceを書いていく予定です。

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