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上北健「ビューティフル」セルフライナーノーツを公開!

March 15, 2018 18:30

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上北健「ビューティフル」セルフライナーノーツを公開!

上北健が、自身約1年ぶりの新作となった配信シングル「ビューティフル」のセルフライナーノーツを公開した。前作ミニアルバム同様、楽曲と短編の同時リリースとなった本作。過去にないほどの印象的な歌詞が生み出された経緯や、楽曲の原案として位置づけられる短編執筆の意図を語った。


さかのぼれば、春の終わり。心の断面は美しいか、という表題曲を書いた。
続く季節に行う公演のためだ。
良質な設計図は機械の解体によって書かれ、医学は人体の解剖によって発展した。
物事の本質を見極めるためには、解きほぐすことが必要になるのだ。
自分にはそれらの技能がない。したがって、思考を巡らすことしかできない。
だが、そもそも誰しもが解体を行うことなど叶わないものであるならば、
誰しもが同様に思考を巡らすことしかできない。
心の断面は美しいか、という問いは大きなテーマになった。

残暑の頃になって目的の公演は閉幕を迎えたが、その問いは決着に至らなかった。
解は存在しない問いなのだろうと、漠然と理解していた。
しかしそのまま放置してしまうには、あまりにも重要な問いであるように思えた。
上北健が表現すべき思想の、根幹を担うことであるような気がした。

山手線の車内だっただろうか。
反対側の扉近くに、手摺りにつかまる男性が見えた。
白杖とサングラスを装備していたので、視覚に障害を持つのだとわかった。
座席にいた一人が、彼に譲ろうとした。
だが彼は申し訳なさそうにはにかみ、頭を下げて、それを断った。
二駅先で、彼は白杖をつきながら電車を降りていった。
手間取ってしまうことを、また済まなそうにして降りていった。

あの問いを考えるにあたっての、手がかりになるひと時だった。
与えられなかったことが心を成長させるのなら、その心は美しいのか。
そういった境遇の中でも輝く、様々な人の姿を追った。
文章を書く人。踊りを踊る人。絵を描く人。スポーツをする人。様々があった。
彼らに備わった「特別」を、ある人は、弱い部分であると言い捨てただろう。
しかし彼らは、己の「特別」には間違いなく意味があるのだと信じて疑わない。
信じ続けながら、表現をしているのだと思った。
彼らの心には等しく美しさを感じた。輪郭が見えたような気がした。

だがそれを、自分を含め、揃って授かった者に当てはめようとしたときには懸念もあった。
果たして並行に考えてよいものなのかと。
再び、立ち戻る。
彼らのことを思えば、自分には与えられていない、とは間違っても言えない。
その一方で、遠くはない感覚があることに気づく。
揃って授かった我々でも漠然と感じる「足りなさ」。その不安、苦悩。
それを見つめ直せば、一般解として言い得る表現が見つかるかもしれない。

人は人と比べないことにはいられない。足りなさを感じるための行為だ。
足りないことに思い悩むのは、自分の意味に疑いが生じるためだ。
意味を見出すにはいかにしようか。足りぬ部分に目を瞑るだけではままならない。

kamikita_bt_photo120180315.jpgひとつの風景に出会った。
早朝、信州の山中。四方を覆い尽くす苔の群れは、朝露を携え輝いていた。
人知れぬ日陰に生きながら、これほどに美しい命があるのだと知った。
彼らには色鮮やかな花弁もなければ、艶やかな香りも持たない。
しかしその生命には、紛いもない意味を感じた。同じことではないか。

与えられなかったことに意味を見出し、生きる心を美しいと感じた。
ならば揃って授かった我々も、漠然とした「足りなさ」を無意味と切り捨てず生き続けたその先に、美しい心の断面が得られるのではないか。

この結論とも、過程とも取れるエンディングに行き着いたのは、何も自分だけが「特別」だったとは思っていない。
誰もが知っていることを、自分も知っていることを確認しただけだ。
だから、それを知っているのだから、美しい心で生きなければ、と思った。

kamikita_bt_photo220180315.jpgビューティフルの物語は、すべての歌詞が組み上がったのちに書きはじめた。
最近の作品はこうして、短編を書いて発表する形をとっているが、それは歌詞に凝縮する作業の過程で、
どうしても削ぎ落とすしかなかった言葉を投じるための世界を書いている。

削ぎ落とした言葉は、また別の作品に保管しておけばよいのかもしれないが、結局、最も適切な置き場所は、その作品の傍らだ。
そういう意味ではこの短編が、言葉を収める容器か、棚になっていると言える。

歌詞を生み出す途中の右往左往する思考を、その世界のキャラクターが喋ってはいるが、ところどころで道を外れる言葉が挟まり、混同してしまう部分もある。

── 多くの人間が押し殺しておく感情を、どうしようもなく噴出させてしまった者は、こうやって外の世界から遠ざけられていくのだろうか。私はそれが不条理に思えてならなかった。

── 光も音も温もりも感じないこの空間で、私を確かめるのはあの遠い空に浮かぶ半月の明かり、ただそれだけだ。しかしそれはある意味で、とても高尚な感覚なのかもしれないとも思う。ある意味で恥部なのかもしれない。むき出しの表現が多い。

そもそも、今回の短編の舞台はどう着想したのかというと、深夜ぼうっと眺めていたテレビ画面に、すべてが自動化されたリビングルームの将来映像が映っていたことからだった。
これほどに便利になるのですよ、という類の映像だったのだと思う。
五割が信じ、五割が信じようとしない自分の脳内では、その無意味な葛藤のほかに、空想が膨れ上がっていた。
水槽にインクを垂らしたときそれが広がっていくように、じわりときた。
その日からは毎日、垂れたインクを攪拌する作業の繰り返しだった。
はじめの色が決まると、継ぎ足す色は決まってくる。
途切らすことなく、毎日水槽の様子を見た。

人物の話を少し書いておく。
ビューティフルの人物設定は曲中と連動しているが、名前は与えなかった。
主人公は「私」として読むのが、最もわかりやすいと思う。
しかし、自分の魂を封入するのであれば「少女」なのだろうと思う。
「少女」の行く末を記さなかったのは、そのためである。
また「少女」以外の三人全員に、誰かを諭す場面を作ろうと思っていた。
自分としては、彼らにそちらの立場でいてほしかったのだ。

── 幾日もの時間が流れ、彼女の話をする者もいなくなった。けれど私は、いつだって心の中で彼女を案じていた。私は期待していた。いつかどこかの町で、運命か何かの巡り合わせで、再び私たちが出会うことを。

「私」は最後の場面で、再び「少女」と出会うことに期待する。
なぜか書き手である自分も、「私」と会えることを期待しながら書き終えた。

この表現手法は、続けていきたいと思う。
歌や歌詞の解釈は限定すべきものではないが、物語に記した言葉も、ビューティフルという作品であることには違いない。
これを書き終えて、ようやく作品が完成したと思えた。


■ 上北健オフィシャルサイト
https://kamikitaken.com

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  インフォメーション

配信シングル「ビューティフル」
2018年3月9日


Kamikita_beautiful_jacket20180309.jpg

□ 楽曲
01. ビューティフル
02. ミスト -Acoustic Edition-
03. 生き往く街に海を見る(3.25ライブ会場限定)

□ 書籍
01.ビューティフル
02.ミスト(3.25ライブ会場限定)


上北健 HALL LIVE IN TOKYO “僕と君が、前を向くための歌” 4th STAGE『花さわぎ』
2018年3月25日(日)
東京・渋谷マウントレーニアホール
チケットプレイガイド:http://w.pia.jp/t/kenkamikita/(チケット発売中)
特設サイト:http://smarturl.it/kamikita.hanasawagi


韓国ソウル単独公演(詳細は未発表)
2018年6月2日(土)・6月3日(日)

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