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オフィスオーガスタ 代表取締役社長 千村良二氏 インタビュー!

オフィスオーガスタ 代表取締役社長 千村良二氏 インタビュー!

September 22, 2018 11:30

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今までポップシーンでは不定期で「オフィスオーガスタ特集」を展開してきた。1992年、オフィスオーガスタ設立。杏子、 山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチ、長澤知之、秦 基博、さかいゆう、その他言わずもがなの実力派シンガーソングライター達を輩出してきた。2017年にはユニバーサル ミュージックの傘下になることを発表し話題にもなったが、今回は代表取締役社長 千村良二氏にインタビュー。千村氏自身の経歴やアーティストのこと、8月22日に同時リリースされた『ALL TIME BEST ~福耳 20th Anniversary~』と『シンガーとソングライター ~COIL 20th Anniversary~』についてなど語ってもらった。千村氏が考える、今やらなければいけないこととは?


ー 千村社長がオフィスオーガスタ(以下:オーガスタ)に入社されたのはいつでしょうか?

入社は2004年です。1992年のオーガスタ設立以前は、現・最高顧問である森川(欣信)さんがキティ・レコードにいて、僕は同社のプロダクション部門であるキティ・アーティストにいました。当時キティ・レコードで山崎まさよしのプロジェクトが立ち上がって、その中に私もいたんです。私はライヴブッキングを主にしていたんですが、 その後キティグループがポリグラムグループになり、しばらくすると純然たるレコード会社になるという前提でプロダクション部門を、丸ごとリストラしたんです。プロダクション部門所属アーティストは、ほとんど移籍しましたが、そうしなかった一部のアーティストと共に独立というかたちをとりました。まあ、せざるを得なかったといった方が良いですね(笑)。


ー シビアですね。

そうそう(笑)。それが97年。森川さんは一足先にキティを離れ1992年にオーガスタを立ち上げたけど、当時はアーティストもまだ杏子しかいなかったし、森川さんを含め、スタッフも経理と杏子の担当マネージャーの3人だけだったと思います。


ー 当時のオーガスタも今からは考えられないくらい小規模からスタートしていたんですね。

そうですね。森川さんがオーガスタを立ち上げた当時、私の会社ではインディーズ・レーベルをやろうということで、海外も含め色々な盤をリリースしていました。その頃からですね、オーガスタから仕事を依頼されるようになったのは。ちょうど、森川さんが元ちとせのインディーズ盤をレコーディングしている頃で、そのパッケージデザインを任されました。私の会社もアーティストマネージメントだけでなく、音楽に関わる仕事はなんでもやらざるを得ませんでした。


ー それが元ちとせさんとの出会いですか?

そうです。そのインディーズ盤で初めてちとせの歌を聴いて「凄い!」って興奮しました。先ずはジャケットデザインを依頼されたので、当時オーガスタにはまだなかったMacintoshをなけなしの5年リースで借りて(笑)。結果次作のデザインも依頼されました。その後スガ シカオの現場マネージャーの派遣、ライヴ物販も担当させてもらいました。2000年に自分のプロダクションからはHARCO(ハルコ)というアーティストがV2レコーズ・ジャパンの邦楽第一弾としてメジャーデビューしたんです。僕は絶対売れると思ったんですが、なかなか思うようにはいきませんでした。新規立上げのレーベルでしたし、周囲の期待も大きかったんですが。


ー 当時はフリッパーズ・ギターを始めとするギターポップやネオアコ全盛だったのでは?

そのちょっと後だったんですよ。すでにパンクやバンドブームになっていてシーンとは逆行して。とはいえ、アーティトの才能の高さは確信していたし、ポスト渋谷系の流れもあったしadvantage LucyやGOMES THE HITMAN、くるり、クラムボンらHARCOと同世代のアーティスト達も注目されていましたね。


ー キリンジさんがメジャーデビューしたのもその頃でしたっけ。

キリンジの方が先だったと思います。(キリンジのメジャーデビューは98年)HARCOはメジャーデビューする前、キリンジ所属のNATURAL FOUNDATIONからマキシシングルを発売しています。プロデュースはキリンジ作品でも大注目の冨田恵一さんでした。そこで話題になってV2からデビューしたんですが、色々と実験的なこともしましたね。ステージではオープンリールを使ったり…ソロアーティストならではですが、バンド編成も都度都度で変えるなど、ジャンルを超えた魅力的なミュージシャンたちとの格好良いライブでしたよ。その後2002年に元ちとせがメジャーデビューするんですが、その時は業務委託として現場マネージャーを担当していました。一年間はプロモーションで全国津々浦々行っていたし、デビューにしてシングル『ワダツミの木』が凄いヒットになったから、スケジュール帳も真っ黒でしたね。当時、南佳孝さんのプロモーションにもほんの少し関わらせていただいていましたが、それもできなくなりました。とは言え私の会社は資金繰り的には厳しい状態だったので、最終的にその会社をオーガスタに吸収してもらう形になり、そこから入社ということになりますね。約1年強、ちとせのマネージャーをした後は、部長として管理側になりました。


ー オーガスタに入る前、すでに元ちとせさんと、以前所属されていたスガ シカオさんと仕事をされていたんですね。

あと野狐禅。直接マネージャーという形では携わってはいなかったんですが。2000年だったと思います。私が80年代後半に担当していたアーティストが審査員だった、とあるオーディションに出ていたのが野狐禅で、「千村さん、凄いのがいたよ!とにかく凄いんだよ!」って知らせてくれたんです。それでデモテープをもらった後、すぐに札幌までライヴを観に行って、森川さんと相談してオーガスタに所属、デビューすることになりました。その後ご存知の通り、野狐禅は解散してオーガスタを離れましたが、竹原ピストルのソロとしてレコード会社含め野狐禅チームが再結成されたわけです。


ー そうだったんですね。その後のオーガスタでの業務内容はどのようなものでしょうか?

部長をやりつつ、宣伝や営業…例えばAugusta Campやそれぞれのコンサートのスポンサーを獲得したりしていました。業務委託時代ですが、最初にスポンサーをつけたのが2002年のAugusta Camp。当時はまだ、スポンサーやタイアップをつけるのが格好悪いという風潮があって。それが自分たちが独立独歩できちんと出来ているっていう証だったんでしょう。でも私からすればそれは勿体無いことだと思ったんです。貴重なアーティスト稼働を経済的にも最大化したかったんです。だって1999年に山崎まさよしが初めて開催したAugusta Campは東京で4万人以上入ったと聞いています。Augusta Campをテーマパークのようにしたいって思うスタッフもいました。ファンサービスの一環としても色々なブースがあれば面白くないですか?


ー 面白いです。現在は実際、Augusta Campでの各スポンサーブースも賑わっていますしね。

そうです。内容やコンセプトは、制作部長やプロデューサーがアーティスト達と考えて決めていたから、私は出来たものをどう売るか、そこにずっと重きを置いていました。

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ー では、千村社長から見たオーガスタのアーティストの魅力はなんでしょう。

色々な人からよく言われるのは「声」ですよね。うちのアーティストには、似た声がいないんですよね。声の魅力は他のものに替えられないし、僕もそこが魅力のひとつだと思っています。


ー なるほど。

それと、それぞれのアーティストが持っているストーリー。


ー ストーリー?

たとえば、唄者(奄美民謡歌手)として活動していた元ちとせは、J-POPというフィールドで上田現と出会ったことで“ワダツミの木”のような大ヒットに恵まれました。さかいゆうだって、クラブ・ミュージック的な音楽をやっていたことで既にKREVAや竹内朋康さんにも可愛がられていたり。そうやって他のアーティストも含め、それぞれにストーリーがあるんです。長澤知之の歌詞にも彼の人生のストーリーが反映されていると思うし、最近だとNakamuraEmiはエンジニアをしたり保母だったり十数種の職業を経験した後に33歳でデビューしています。そこから生まれるスタイルや歌詞がオリジナルなんでしょうね。


ー ちなみに秦 基博さんは?

うちのスタッフがライブハウスでたまたま秦を観たのが始まりなんですよ。その声が気になって買ってきたというCDをみんなで聴いてすぐにライヴを観に行きました。みんな彼の声に衝撃を受け、契約にいたりました。


ー なるほど、そういう流れだったんですね。話は変わりますが、千村社長ご自身は普段どういう音楽を聴かれるんですか?

何でも聴きます。誰かに「これ良いよ」ってすすめられたものだったり、ウェブ上で偶然出会ったものだったり。あとは若いころを思い出して、70年代あたりのものも良く聴きます。ルーツを辿ればフォークですかね。吉田拓郎さんに井上陽水さん、岡林信康さんも遡るけど、当時はあがた森魚さんも大好きでした。でもあまり洋楽にはいけなかったです。長野の田舎だったからレコードを買いにいくにも電車に乗っていかなきゃいけないし、当時は松本市内にもレコード屋さんがたぶん2軒しかなかった。邦楽でも、はっぴいえんどとかも予約しないと駄目でした。

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