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小坂忠 インタビュー「僕の生き様と自分の表現とはひとつであって欲しいと思うんです。」

小坂忠 インタビュー「僕の生き様と自分の表現とはひとつであって欲しいと思うんです。」

April 2, 2020 20:00

小坂忠

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プロデューサーの武部聡志氏が選ぶ「100年後も聴き続けてほしい名アルバム」をフィーチャーしたコンサート【SONGS & FRIENDS】の第二弾として2018年11月に開催されたのは小坂忠「ほうろう」の世界。75年にリリースされた小坂のアルバム『HORO』は世代を超えて受け継がれてきた。そしてもう一人、“はっぴいえんど”やティン・パン・アレイのギタリスト(楽曲によってはヴォーカルを担当)の鈴木茂。はっぴいえんどと言えば、現在の若いミュージシャンにも多大な影響を与えている。すでに半世紀の付き合いだと言う小坂忠と鈴木茂が、ユニット“茂忠”として2月に「まだ夢の途中」を配信リリース。この曲は、NHKラジオ深夜便の2月~3月『深夜便のうた』のために書き下ろされた。作詞作曲を手がけて小坂は今年で72歳。失礼ながらその年令にして「まだ夢の途中」とは何とワクワクするタイトルだろうか。今回は楽曲への想いだけでなく、鈴木への想い、クリスチャンとなって知ったことなど、激動の時代を音楽で駆け抜けた小坂に色々と伺ってみた。彼の描く<夢>とは?


── 2月12日に鈴木茂さんとのユニット“茂忠”として「まだ夢の途中」を配信リリースされましたが、鈴木さんとはデビュー当時からのお付き合いでは?

そうだね。だからもう50年。……半世紀かぁ。


── 昨年も茂忠でライヴをされていましたが、細野晴臣さんはじめ、他にも長きに渡り音楽活動で携わっている方々がいる中、なぜ鈴木茂さんとユニットを始めたのでしょうか?

何だったんでしょうね。細野くんだとちょっと声掛けにくいし(笑)。


── それは何故ですか?(笑)

細野くんは僕より1つ先輩なんですよ。僕らの世代って上下関係が厳しいから。でも茂は僕より3つ下だから「茂!」って呼び捨てに出来る(笑)。ただ僕と細野くんって学年はひとつ違うけど、誕生日が1日違いだから(小坂:7月8日、細野:7月9日)24時間だけ細野くんと同い年になるの。その時だけは「細野!」って呼ぶんだけどね(笑)。


──(笑)。遡れば、小坂さんのアルバム『HORO』(75年)がリリースされた頃、ティン・パン・アレーやハックルバックのメンバーとゲスト・ミュージシャンもいらっしゃいましたが、小坂さんと鈴木さんがメインでツアーを回られていましたよね。

ええ。


── 今でこそロックやポップミュージックでのツアーは当たり前になっていますが、当時は珍しかったのではないですか?

珍しかったんです。 僕が『HORO』をリリースした頃、ちょうど茂も『BAND WAGON』というアルバムを出したんですよ。僕らはレコード会社は違ったけど、その垣根を超えたプロモーションで【ファースト&ラスト・コンサート “出発のための別れ”】ツアーをすることになって。当時は各地方都市ごとのイベンターネットワークが出来ていなかったので、このツアーで初めてそういうネットワークを作ったらしくて。


── まさに今のツアーの形をつくった第一人者じゃないですか!

そう考えると“茂忠”すごいな!しかも僕、茂と縁が深いね(笑)。2012年に、僕と茂と中野督夫(センチメンタル・シティ・ロマンス)で“完熟トリオ”と称してFUJI ROCK FESTIVALに出演したんだけど、その時も僕が茂を引っ張り出したんだよね。ほら、当時色々あったでしょ(笑)。


── ええ。でもこのお3人がFUJI ROCK FESTIVALに出演されたのは衝撃であり、感動でした。

ああ、そうか。やっぱり茂が音楽を出来ないのは日本の損失であり音楽もあるからね。きっと茂とは切っても切れない縁なんだなぁ(笑)。だから“茂忠”が出来たのかも。ずっと一緒だったから改めてそんなことを想像もしていなかったけど。


── その切っても切れない縁の(笑)鈴木さんとの「まだ夢の途中」は、小坂さんの歌とギターが引き立つような作りですが、最初からそういうサウンドはイメージされていたんですか?

そうだね。僕はギター1本で曲を作るんだけど、この曲もそうやって出来たデモをスタッフに聴いてもらったら「これで良いんじゃないの?」と言ってくれて。でもそれじゃあさすがにねぇ(笑)。だからデモの雰囲気を変えないような音作りにしようとは思いました。


──  レコーディングメンバー(Ba,小原礼さん/Key,Dr.kyOn/Gt,西海孝)の中には小原礼さんもいらっしゃいますが、小原さんとは“小坂忠とフォージョー・ハーフ”を結成した72年頃からですか?

いや、その少し前に小原と一緒に演っていた時期があってね。茂と小原は確か同い年だから、彼らが高校生の頃だよね。不良高校生の頃(笑)。


── ちなみに小坂さんの高校生時代は?

僕?僕は真面目だよ。 不良に憧れられてた存在!

スタッフ:(笑)

でも何にせよ長い付き合いだから、レコーディングでもわざわざ細かい話し合いもすることないしね。


── フィーリングですね。

そう。

P0A0317_01_20200402.jpg左上から 小原礼、鈴木茂(下段)、Dr.kyOn、小坂忠、 西海孝


── この曲は、NHKラジオ深夜便の2月~3月『深夜便のうた』のために書き下ろされた曲だそうですが、改めて歌詞への想いを教えて下さい。

最初にラジオ深夜便のスタッフに伺ったのは、リスナーの年齢層。年齢的には結構高い層も聴いているとのことだったので、世代が僕と近いのかなと思ったし、それならきっと共感出来ることも沢山あるのかなと思い、曲を作り始めたんです。僕らは、社会や価値観や文化が戦争によって奪われた後に生まれてきたベビーブームの頃。いわゆる団塊の世代だから、それ以前のレールを引き継いで走るというより、むしろ新しく敷いたレールの上を走りたい気持ちが強かったと思うんです。だから人によってはデモ活動など政治的な方向へ向いていましたが、僕らはアーティストだから音楽で自分たちの新しい世界を作っていこうとしたわけですよ。歌詞にも「いくつもの扉を開ける 勇気があったじゃないか」とありますが、 それが僕らの世代って当たり前だったんじゃないかな。


── そういう時期を経て、何か諦めかけた挫折というか苦悩から立ち上がる、そんな印象もありました。

僕らの世代の大抵はすでに仕事から離れているけれど、まだみんな元気なんですよ。そんなに元気でエネルギーがあるのなら、自分のやるべきことを見つけて、昔と同じようにチャレンジして欲しいなと。そういう人たちに発破をかけられたら良いと思ったんです。


── こういう言い方は大変失礼かもしれませんが、小坂さんくらいの年齢の方から「まだ夢の途中」という言葉が出てくると、私たちやその下の世代だって、まだ新しい扉を開けるためのステップを踏み出せそうですし、ぼやぼやしていられないなと思いました。

そうだよ!でもそう言ってもらえるのは嬉しいね。僕は<夢>というワードが好きでね。