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尾崎亜美、コラボレーション・アルバム『Life Begins at 60』インタビュー

尾崎亜美、コラボレーション・アルバム『Life Begins at 60』インタビュー

January 26, 2018 12:15

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ー いいですね。真剣な遊び心(笑)。

以前La Dillをプロデュースさせて頂いて彼らの実力も分かっていたので、今回はフェイクの部分を作ってみたんです。で、 オペラで鍛えた人の中にポップミュージックのソロシンガーである私も入る。その違和感が凄いんですよ(笑)。でもその違和感も楽しんでもらえる作品にしなければいけないから、結構思い切った企画にしました。


ー この曲はアルバムの中でも、かなりフックになっていますよね。

色々な角度の切り取り方が出来ているの方が、飽きないんじゃないかな。


ー そうかもしれませんね。今回改めて全コラボ曲のオリジナルを聴き返してみたんですが…。

オリジナルまで全部聴き返してくれたんですか? ありがとうございます!


ー 尾崎さんのアレンジ力の高さを改めて感じさせられました。どの曲も知っているのに、今回のコラボで新しい曲のようにも感じて、全く飽きる要素はないですし、たとえオリジナルを知らなくても楽曲自体の良さとコラボの面白さを十二分に感じられるアルバムだと。

嬉しい。ありがとう!


ー 実は個人的にも尾崎さんが好きなので。

そうだったんですか。


ー はい。それであえて当時を振り返って一番聴いていたのは何だったろうと考えたんですが、特に『STOP MOTION』は良く聴いていた記憶があります。

あー!自分でアレンジを始めた二作目…いや『MIND DROPS』の後だから一作目ですね。アレンジがまだ下手くそなのも含めて可愛らしいですよね。


ー 当時はまだ小学生でしたが、憧れでした!でもデビュー当時は「第二のユーミン」と呼ばれていたんですね。知らなかったです。自分にとって尾崎亜美さんは尾崎亜美さんでしかなかったから。

当時のキャッチコピーって「第二の○○」が多かったんですよね。だから私が「第二のユーミン」と言われていたことを知ったユーミンが「ごめんね、亜美。 第二のユーミンなんて言われて可哀想ね。」って。ユーミンが謝ることなんて全然ないのに(笑)。勿論私も「第二のユーミン」と言われることを可哀想とは思っていなかったけど、ユーミンが「でも亜美なら嬉しい。私が亜美は亜美ということを一番知っているから頑張ってね。」と言ってくれていたのは本当に嬉しかったですね。


ー 松任谷さんとは当時から仲が良かったんですか?

よくユーミンの家に泊まりに行っていました。本当に可愛がってくださったんですよ。私のアレンジを松任谷正隆さんがやって下さっていたこともあって、そういうご縁もあって。当時はまだお二人が結婚前だったので松任谷さんと荒井さんの時代。私が熱を出した時、「着払いでいいから、タクシーですぐにおいで!」って言ってくれて、六本木のホテルから八王子のお宅までタクシーで行ったこともありました。その時ユーミンがスープを作ってくれて。


ー いいですね。

本当に優しくしてくださって。それくらい仲良しだったから「第二のユーミン」と言われることは全然嫌ではなかった。ユーミンの部屋で、ユーミンはベッド、私はお布団を敷いて夜寝るまでずっとお喋りをしていたり。「亜美の話は笑える!もっと何か面白いこと言って。」って(笑)。そういう夜が沢山ありました。そういう人に「亜美は亜美だから、そのままで絶対に頑張れるよ。」と言ってもらえた言葉はお守りみたいだったし、当時の私にとっては大きかったです。


ー 当時は音楽番組も多かったのか、音楽が身近だった気がするんです。今とは音楽の在り方が違っていたというか。

「みんなの音楽」というのが減ったのかなと思いますね。個人個人の音楽は今も廃れていないし、むしろ強くなっているのかもしれない。それと、それまでスピーカーを通して音楽をみんなで共有しながら聴いていたものが、耳の中で独りで聴くスタイルが主流になっているのも大きな要因のひとつだと思います。みんなで聴いて一緒に踊ったり歌ったりが少なくなったかな。ライヴは別としてね。でもその原因はみんなにあって、私たちアーティストもそう。聴くためのメディアが変わってきているのもそう。そこは大きいと思います。


ー そうかもしれませんね。当時は女性シンガーソングライターが今より少なかった気がしますが、シンガーソングライターとして大先輩の尾崎さんから見て、miwaさんやchayさんはどういう印象でしたか?

健気な感じがします。時代は変われどやはり私も通ってきた道なので、あの頃自分も色々なことに悩んでいたことも思い出して「今、そこにいるんだなぁ。」って感覚的に、また経験値として分かる部分があります。きっと今悩んでいても解決させる方法はきっと見つかるだろうし、逆にこれから更なる悩みにぶつかるかもしれない。40年以上活動しているので、その間に良いこと悪いこと、色々な出来事が起こるのも分かるしね。miwaちゃんやchayちゃんもこれからどういう戦い方をしていくか分からないけど、ずっと音楽は好きでいて欲しいし、良い音楽を探す旅をして欲しいと思います。誘惑も沢山あるだろうけど、ちゃんと音楽を見つめていられると良いですね。


ー 尾崎さん自身。以前に体調を崩されたり活動を休止していた時期もありましたが、体調の面は別としても音楽に向き合うこと、音楽を見つめていることが辛くて音楽から離れたいと思ったことはありましたか?

音楽から離れたいと思ったことはありませんでした。ただ、どんどん送り出している状況は一度塞き止めなければいけないと考えた時期はありました。


ー 具体的にはどういうことでしょうか?

ありがたいことに楽曲提供のオファーを沢山頂いた時期があって、アイドルの方を中心に曲を書いていたんです。絶対にヒットが欲しいという怨念みたいなものを背中に背負って何年か過ごしていたことがあって…。オファーを頂くこと自体は、色々な方と出会えて世界が広がるので「アーティスト 尾崎亜美」としてはプラスが沢山あったんですが、ちょっと危険な感じがして…。


ー 危険というと?

私は絶対にノウハウだけで曲を書きたくないんです。 曲って、書こうと思えば結構ノウハウだけで書けちゃうものだから。でもそれをやってしまったら尾崎亜美の危機であると感じていたんです。ずっとそういうことが続いて、それなりの結果も出してきた自負もあるけど、「ここは一回休まないといけない」と思って、活動を休止した時期もありました。その分、活動を再開した時には「来た!来た!来た!」と溢れんばかりにアイデアが湧いてきたんです。尾崎亜美としてセールスが順調だった時の休止なので、確かにみんなにとってリスキーではありました。でもそのリスクを押しても休止は良かったと考えています。今年の3月で42周年を迎えるんですが、これだけ長きに渡り活動させて頂けたのは、あの休みも大きかったかな。どれくらい正直に自分の音楽を続けられる思いを持続させられるかという意味も含めてね。


ー では今でもノウハウだけで曲を書かないというポリシーは変わらずですか?

変わっていません。まだ湧いてきますしね。先日もあるアーティストの男性と女性に楽曲提供したんですが、両方ともインスピレーションが湧いてきて。 大人の事情で(笑)、まだアーティスト名は明かせませんが。


ー はいはい(笑)。

特に女性の方は、知らずに書いた歌詞が実はその子がとても得意で大切にしていることがテーマになっていたんです。自分がこわい!なーんてね(笑)。


ー いや、尾崎さんなら音楽を通じての読心術を持っているのかもしれませんよ(笑)。

ないない(笑)。でもあれはちょっと神がかってていた!実は切羽詰まって時間もなかったんですが「湧いた!」と思って。


ー ミラクルですよね。

今は良い曲しか書けない病気中です!


ー おお!そのキャッチフレーズをヘッダーへ大々的に入れましょう。

いやいや、大々的にはしないで良いです!でもその病気、継続中でーす!

<一同爆笑>

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