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サウンドクリエイター特集 Vol.4 真藤敬利『Hello!World』

サウンドクリエイター特集 Vol.4 真藤敬利『Hello!World』

December 28, 2015 20:30

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シンガーソングライター、キーボーディスト、アレンジャー、プロデューサーなど様々な角度で音楽に携わる真藤敬利。前回はサポートミュージシャンをすることになったきっかけや、その活動にスポットを当てたが、今回は真藤の企画で2011年から現在に至るまで継続している東日本大震災復興支援イベント『Hello!World』について、イベントや復興への想いを、Kのレコーディング前にスタジオで語ってもらった。


ー 今年10月には、恒例になった真藤さん企画の東日本大震災復興支援イベント『Hello!World Vol.11』がありましたね。

はい!その少し前に完全なるプライベートで Kくんやバンドメンバーであるタラちゃん(設楽博臣)、notchと一緒に気仙沼と女川を回ってライヴもやったんです。

20151228_0741.jpgー そうだったんですか。この復興支援イベントを開催しようと思ったきっかけを教えて下さい。

2011年3月に東日本大震災が起きて、その後ライヴハウスがみんな節電、節電でクローズしていたんですよね。


ー イベントが数々中止になりましたし。

そうそう。浅草に「KURAWOOD」というライヴハウスがあるんですが、仲が良かった当時のブッキング担当の人が「節電をするくらいなら、みんなをこのライヴハウスに集めて家の電気を消した方が絶対に良いと思う!」って言ったんです。


ー たしかに一理ある!

でしょ。だから「最小限のPAを使ってライヴをやりたい。真藤さん、ライヴをやりませんか?」という提案があったんです。しかもライヴの入場料は取らずに投げ銭方式で。その話を聞いて、それならせっかくだからやろうと決めたんです。ちょうど仲の良いアカペラメンバーがいて、自分も遊びでだけどゴスペラーズの北山さん(北山 陽一)やTRY-TONEなどとハモることもよくやるので、彼らをまず引っ張り出そうと思ったんです。「ギャラは出ないけど復興支援をやるんだ。」って。そうやって繋がりある人たちを呼んで始めたイベントが【Hello!World】だったんです。


ー それが今ではもう11回目!

続けてみるものですね。1回目が2011年4月。当時はブームのように復興支援イベントが沢山あって。でも正直そんなにすぐには復興しないだろうし、やっぱり現地に行かなければ駄目だと思ったんです。それで2011年6月に宮城県東松島市のボランティアセンターに登録して泥捌けに行ったことからスタートしました。その後、松島、石巻、女川、気仙沼でボランティアを続けては、常に現地の声を聞いて戻って来るというのを繰り返したんです。そうやって続けようと決めました。

20151228_3528.jpgー 真藤さんが現地で一番感じた大変なことは何でしたか?

時期によって違うんですが、最初は避難所からスタートしているから「本当にどうなるんだろう?」という漠然とした不安があったし、「こういう中で歌なんて歌っていて良いのかな?」とは感じました。初めて6月に現地に行った時はまだみんなが気を張っていて、涙さえ全然出ないという時期だったんです。だから歌を聴いて初めて涙を流してくれて。そこで「涙を流さないと絶対に笑顔は出ない。」と言われたんです。


ー リアルな言葉ですね。

僕もこんな時に歌を歌うよりは、他にやるべきことがあるんじゃないかと思っちゃっていたんです。その時は幼稚園で歌ったんですが、僕も「歌なんて歌ってて良いんですか?他にやることがあるんじゃないですか?」って聞いたんです。そしたら園長先生から「それは違うよ、真藤さん。まだみんな涙が出ていないんです。真藤さんの歌を聴いて、みんなああやって泣いているでしょ。泣いているということは、やっと悲しいと思った気持ちが流れた瞬間だから。それは音楽とかじゃないと出来ないことだから。話を聞いてもみんなは泣けないんです。ああやって涙が出たら、次は絶対に笑顔がやってくるから。」と言われたんです。勿論こういうことに色々な意見はあると思うんです。反対意見もあるでしょうし。でもそういうのは置いといて、逆に僕が力をもらいました。「歌って凄いな!」って。それからは迷いがなくなりました。それで復興支援イベントは続けていこうと決めたんです。でも規模を大きくするよりは、仲間たちとずっと続けていきながら、チケット代から頂いた義援金を今は現地の特産物などを買って、次のイベントに来た人に配るということをしています。


ー それは面白い発想ですね。

今回の11回目も、10回目のチケットで頂いている義援金があるのでどう使おうか考えました。寄付はしなくても向こうの産業があるから、仲良くなった業者の方から気仙沼のカツオとサンマの佃煮をセットにして120人分を発注。11回目に来てくれた方々へお土産として配ったんです。気仙沼にはこういうのがあるという紹介にもなるし、食べた人は感想をSNSで拡散してくれて、中には追加発注してくれる人もいるんです。


ー いいですね。

気仙沼を知ってもらうには良いじゃないですか。こういう食べものって。それを何回か続けていて。ワカメとか牡蠣とかサンマとか。


ー 聞いているだけでよだれが…(笑)。

アハハ!これがメチャクチャ美味しいんですよ。しかもそのお土産を楽しみにしている人もいるから、そういう意味でも12回目の『Hello!World』も楽しみです。僕の場合、規模は大きくないから何百万円という単位でお金や産業が動くわけではないけれど、繋がるじゃないですか、続けていると。


ー そこが重要ですよね。

ええ。だから今は東北に行くと、どこへ出向こうか考えなくても電話一本で、コミュニティFMの出演が決まったり(笑)、「来て来て!」って言ってくださる方々がいるので色々なところに行けるんです。ラジオも、出演というよりは会いに行くという感じ。それで11回目の時はKも一緒にラジオに出たんです。行きは二人だけで車に乗って楽しかったし想い出にもなりました。


ー Kくんと二人だと、どういう感じなんですか?車中は。

もうマジでうるさい!(笑)


ー アハハ!

ずっと喋っているからあっという間に着いたし。音楽の話や東北の話をしたり、二人でハモる練習をしたり。兄弟みたいでKといると楽しいです。


ー 最近の現地の様子はいかがですか?

震災から四年経った今でも仮設住宅に居るんですよ。女川とかは街がなくなっちゃったから家を新たに建てる場所がないんです。駅も出来たし復興はしているんですが、そういう事情で家を建てられない人も多くて。また、別のところでは復興住宅に入ると、「仮設」ではないという理由で行政の援助がなく、ボランティアも来ない。だから復興住宅にも歌いに来て欲しいという声も沢山頂きました。


ー 本当は、復興住宅=家があるからそれでOKということではないんですよね。

絶対にない!報道されないと分からないけど、人間関係も含めて現地に行くと分かることが沢山残っているんです。だって四年やそこらで街が戻るわけないし。だからずっと行き続けて、少しだけでも歌って「また来てくれた!」と喜んでもらえることは嬉しいです。

20151228_0332.jpgー 真藤さんの“ふるさと”という曲は、この復興支援で生まれた曲なんですよね。

そうです。僕が応援歌を歌うのではなく、現地の人と話したり景色を観たりしたことや、 その人たちのふるさとを守りたいと思う気持ちを代弁して歌えたらという気持ちで作りました。だから自分の曲というよりは、その人たちの言葉を紡いで作った曲です。最終的にはこのイベントも、「復興支援イベント」が取れて、ただの『Hello!World』になれば良いなと思っていて。「もうチャリティーをやらなくても大丈夫だよね。」と言いたいし、義援金をもらわなくても良くなれば素敵じゃないですか。今は以前よりコンスタントには出来ないけれど、そうなるまでは続けようかと思っています。


ー 早くその日が来ると良いです。でも真藤さんって、キーボーディストでもあり、ヴォーカルやコーラスもやる。しかもサポートミュージシャンでも活躍中!「肩書きは何ですか?」って聞かれると困りますよね(笑)。

そうなんですよ(笑)。それを全部ひっくるめて「音楽家」と言うと堅苦しいので、僕は「音楽人」って言っているんです。


ー 音楽人?

すごく音楽を楽しんでいる人みたいな感じがするじゃないですか。


ー 確かに楽しんでいそう。

僕の場合はシンガーソングライターを目指して上京して、いつの間にか色々なお仕事をさせて頂いています。今日(取材時)のレコーディングではアレンジャーだし、プロデュースの場合もある。


ー 音楽専門学校の先生もされているんですよね?

そうそう。先生でもあります(笑)。それも30歳過ぎてからスタートしたんだけど、先生業も自分の中ではすごく合っていると思う。楽しいんですよね、若い子たちを教えるって。次の世代にちゃんとした音楽を教えたいという気持ちもあるので、それを担えたら最高だと思っています。まぁ先程言った「音楽人」というのは肩書きではないけど、音楽をやっているということに関しては全部変わりがないので。教育者でも、キーボーディストでもシンガーソングライターでも、アレンジャーでもサポートミュージシャンでも。だから音楽をやっている人というカテゴリーにいるつもりです。


ー 真藤さんの今後の目標を教えて下さい。

目標としてはあと10年で50歳になるので、この10年でもうひとつ自分の中で何かレベルアップしたいんです。次の世代に音楽を教えるというよりは、僕の背中を見てもらえるような人になるにはと考えた時に、今よりもっと音楽に携われる仕事の幅を広げていきたいし、増やしていきたい。そのひとつとして、もう少しプロデュースする立場に立っていけるようにしていきたいです。


ー ありがとうございました!


取材・文/秋山昌未
 

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真藤敬利

1975.3.2生まれ。大阪府出身。
大阪芸術大学卒業後、上京。シンガーソングライターとして数々の作品をリリースする。またキーボーディスト、コーラスプレーヤー、アレンジャーとして家入レオ、K、JONTE、手嶌葵、NOKKO、渡辺美里など数々のアーティストのライブ、レコーディングに参加。2011年より東日本大震災復興支援イベント『Hello!World』を立ち上げ被災地支援も継続的に行っている。


■ 真藤敬利 オフィシャルFacebook
https://www.facebook.com/takatoshi.shindo.5?fref=ts

■ 真藤敬利 オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/takatoshishindo/

■ STANDARD PROTOTYPE オフィシャルサイト
http://www.standardprototype.com/
 

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